平成7年生

とりあえず問

ポジティブ心理学とぱーれと

生きていればつらいこともある。

そんなつらい事があるから、喜びが際立つのだ。

 

死という終わりがあるから、生という人生が尊く思えるのだ。

 

銀河鉄道999という作品で、主人公の哲郎少年が、機械の体ではなく、限りある人の肉体のすばらしさに気づき、発したこの考え方を、ふと、思い出した。

 

仮に、そのように考えるとすると、

 

2割の陰に対して8割の陽を持つという塩梅保てれば、人生はうまいこと安定すののだろう。

 

逆に8割の努力が2割の輝かしい成果を残す、と考えられもする。

 

旅は結局着くまでが最高に素晴らしい時間であることが、たどり着いた後でわかる。

The NorthfaceとPatagoniaの創業者コンビのドキュメンタリーで、旅についてこのように述べていたと思う。もしかしたら少し間違えているかも。

 

2割の達成の喜びは8割の苦労があって深みを増すのであるか。

 

何はともあれ、目的地がわからないうちはとりあえず歩いていろんな景色をみるのもいいと思う。 だって目的を探すという目的が隠れて言うから、そのために歩いていたんだと気づいたときに食べるご飯は格別だろうから。

 

 

 

 

自分に向けて「本を読むこと自体は目的ではない(はず)」

自分に向けて①

 

本を読むことは重要なのはもうわかるよね。

けれども君が思っている種類の本を読むこと自体は目的ではないよ。

 

例えば小説とか実用なんかは、趣味の類で、読むこと自体、そして内容を楽しむこと自体が目的だ。つまりインプットのみで完結しやすく、それでもかまわない。(たとえば料理本は料理する必要があるが)

 

けれども思考力を鍛えるもの、仕事的な実用書に関していえば、自分の身に落とし込んで初めて価値が生まれるんだ。

 

例えばAということを理解したとして、それはBという問題を解決するために使われるものだとしよう。もし君がBの問題を解決しなければ、何のためにAを理解したのだろうか。

 

簡単に言えば行動につながらない思考は、社会のなかにおいては、存在しないのと同義だ。

 

もし社会の中で得たものを生かそうと考えた結果本を読むことを選択したのであれば、読んで終わってはいけない。それを世の中で実践し問いただすことが大事だ。

 

頑張ろうね。

スマホのスペックはなぜ上がるのか

iPhoneの最新モデルが発売されるたび、僕の耳にはその情報がどこからともなく入ってきます。

 

スマホのスペックが上がって喜ぶのは誰なんでしょうか。

 正直僕個人は、今現在、もうこれ以上の性能を搭載したスマートフォンは必要ないでしょう。

 

スマホのスペックを上げる理由は何でしょうか。

 やはり世の中に必要な人がいるからでしょうか。

 

上げる必要はあるのか。

 例えばカメラが必要?ゲームをするのに必要?

逆に上げない理由はあるのか。

 今のままで何が不便なのか?

 

やはりスマートフォンひとつの個人とのあり方はどうやらそう単純ではなさそうですね。

仕事で使う者、ゲームをする者、他社とつながりを持とうとする者、ただ話したい者。

 

大は小を兼ねる、の名のもとに最大値を限りなく引き上げることで、期待値の低い層も客に入れようとしているのでしょうか。

 

興味深いですね。

 

起業家精神と環境問題

大前提として、今の世の中は資本主義です。

 

過程として、今の資本主義システムが続くとします。

 

そうした場合の、環境問題へのアプローチはいかがするべきなのでしょうか。

 

ここでヒントとなるのが、起業家精神ではないのでしょうか。

 

例えば現在の市場を見ていると、価格競争、とコモデティ化にさらされているのが大部分の現状ではないでしょうか。

 

そうした際に、提案される生存戦略は、絶対的優位、つまりあなたにしか実現しえない価値を、スペシャリティともいわれますが、実現し、直接サービスとして、もしくは関節的に商品に組み込んで、提供することが、有効であるといわれています。

 

その際に、自身のスペシャリティを伸ばす戦略と、まだ前人未踏の市場を開拓する際に重要なのが起業家精神ではないでしょうか。

 

例えば、テスラやスペースXで有名なイーロンマスク氏の火星事業は、地球が”ヤバい”ときの代替居住区の提供のための宇宙の進出と開発事業を行っています。つまり機種変の考え方ではないでしょうか。これはまさに前人未踏ですね。

 

では環境問題とはどういうことか、その本質は、機種変ではなく、今の機種(地球)を修理するという発想になります。

地球を直す仕事、もしくは新たな住処を作る仕事が、コモディティ化されていない領域であるのは間違いないでしょう。

持続可能社会について ー 貧乏な独身男ができることは何なのか?

こんにちは トヨです。

 

最近は、僕の周りでも、「持続可能社会」って言葉を耳にする機会が増えました。

 

そして昔から自然で遊ぶのが大好きな僕は、10代のころ環境問題のことを学校で教えられたときに、本気で将来何とかしたい!と思っていました。

 

じゃあ改めて社会にでて、大人になった僕は、何か貢献できているのかといえば、している実感がほとんどありません。

 

ふと思ったことがきっかけで、改めてどう生きていきたいか考えていた時に、やっぱり世の中のためになることをして生きていきたいと思いました。その時に10代のころの思いがよみがえって、改めて持続可能社会ってなんなんだろうという思いが芽生えました。

 

何も考えずに生活していたら、僕の場合、まず環境問題なんて考える機会が少ないです。例えばスーパーで買い物をするときに、値段は張るが生産から後処理のことを考えて生産された商品と、コストを抑えるために環境に負荷がかかる製造方法で生産された商品、その二択を迫られたとき、考えてない人は価格を基準に買い物してしまうと思います。(味や品質に相当な大差がない前提。僕のように貧乏で生活を切り詰めている人ならなおさら)

 

昔から言われています、使わない電気を消せ、エアコンは節電しろ、食べ物を無駄にするな。ミクロな部分、つまり個人規模では行えても、マクロ規模、つまり企業とか地域とか大きな単位で考えたとき、もっとできることはあるはずなのに、なんて思ってしまいます。

 

もちろん社会(国や市や地域)はいろいろな問題に対処しているので、環境問題にすべての資源を投入することは現実的に不可能です。例えば、雇用の問題、働き方の問題、教育の問題など。

 

今の仕事先も売上のことは気にしても、自分らの仕事がどのように世の中に影響しているかと考える上司がいません。かといって若手の僕がいきなりエコフレンドリー企業になるように、会社の舵をきることはできませんし、悲しいことに上司たちも多忙さと低い給料でそんなこと言ってる余裕はないといわんばかりに働いています。

 

真剣に生きるってことを考えると、世界が広がると同時に、広がりすぎて向き合いたいと思ったときに、自分がそれとどう相手していいのかわからなくなります。

 

選択肢は二つに一つ、導いてくれる人や団体が現れるのを待つ。

もしくは自分が導ける人になる(すでに導いている人たちを自発的に見つけることも含める)、もしくはそういった人達と行動を起こすこと。

 

何を選んだらいいのか迷う年ですが、焦らず見極めていきたいですね。